Let's eat!







「歯が大事だって言ってるだろ!」

あがががが。 と奇妙な悲鳴を上げる相手の、赤く腫れあがった頬っぺたを限界まで広げて、 サンジは容赦なく痛いと訴えられている部位を覗き込んだ。

「ぅあ…ちゃぁー」

絵本に出てくる全身黒タイツの虫歯菌が、せっせと夜中に必死で働いたと思えるような大きな大きな穴がぽっかりとそこには出来ていた。

「おま…これ、よく我慢できたなぁ」

あまりにも出来のよいその坑道に、ここは怒るところだと分っていながらもサンジは思わず驚き、そして感嘆の声をあげてしまう。

「おお!スゲー我慢したぞ」

サンジが危惧した通り、目の前の黒髪の腕白坊主は、先ほどまでの歯磨きへの説教をすっかり忘れ去ったどころか、我慢をした自分に対する賛美だと勘違いをしてニカリと笑っている。ニシシと特徴のあるその声で屈託なく笑われたことで、ようやくサンジは自分の躾が間違った方向へと進んでいる事に気が付き、緩めていた頬への引き伸ばし作業を再開する。ぐにん。と反発することも無く広がる頬に、若い皮膚は簡単に伸びていいなぁ。などとやはり見当違いのことを思いつつ、まだ事の次第が飲み込めていない相手の能天気さにため息を吐く。

「だから、そーいうのは、我慢、すんなッてぇの」
「いっでぇえぇぇ!!!」
「…ったく。おら、歯医者さん行って来い」

伸ばした拍子に指先が、頬の上から治療が必要な部位に触れたようで、思わず涙目で叫んでしまった相手の様子に、今度はしっかりとため息の対象を自分に定めてサンジは息を吐く。子供が行う歯磨きが雑なこと位は、少し考えれば分るはずなのに、それを怠ったのは忙しさにかまけた自分の所為である。
ごとごとと電話台についている小さな引き出しから、一体、いつ行ったか思い出せない位の昔に使った診察券を見つけ出し、電話の横へと置くと、叱られても、叱られてもついてくる子供に視線を一瞥させる。

「一人で行けるか?」

まだ僅かに涙が溜まっている目元を指先でゆっくりと拭ってから、しゃがみこんで相手の目を見る。時刻は午後六時半、歯医者はまだ営業中だが、サンジが働いているレストランも営業中であり、更には夕食時で戦場真っ只中。今、こうして自分が抜けているのも、実は相当に大変なことである。

「行けるけどよう」

 むーっと、下唇を突き上げながら、サンジの手から診察券を受け取るその動きは、何時もの快活なそれとは異なり、とても怠惰である。

「歯医者かぁ」

嫌々というのが分かるその声に、歯磨き監視を怠った事は置いて、歯磨きをさぼったお前が悪いと冷たく言い放つが、彼も世間一般の子供と同じように歯医者を怖がるものなのだということにサンジは密かに驚いていた。

「じっと寝っころがるってつまんねぇんだよなー」

カードを手にしたまま床をごろごろと転がる黒髪の少年に、サンジは呆れた声をあげた。

「ってソッチかよ」
「ん?それ以外になんかあるのか?」
「…まあ、ある奴のが多いかもナ。でもま、お前らしくていいよ」
「?何かよくわかんねぇ」
「とっりあえず褒めたんだ。気にせず歯医者行って来い」

ポケットに診察券と治療費を入れて、落とすなよと念を押した後、ぽんと背中を叩いてやる。

「じゃ、行ってくる!」
「おう、行ってらっしゃい」

 とても今から歯医者に行くとは思えないほど元気よく飛び出した姿に苦笑してから三秒後、慌ててサンジはあっという間に小さくなっていく姿を呼び止めた。

「ルフィ!」
「何だぁ?サンジ」
「歯医者は逆だ!てめぇどこ行くつもりだ!」

 遊びに行けなんて言ってないだろう!と怒鳴ると「忘れてた」などという呑気な返事の後、ルフィが方向転換をし、どうにか歯医者のある方角へと向かう。

「ったく、鳥かアイツは」
どうにか軌道修正ができたとこに安堵したサンジは胸元を探るが、有ると思っていたものが無いことで、自分が次にしなくてはいけないのは一服ではなく、戦場への帰還であることを思い出す。現在身に付けているのは、仕事着で、汚れの一つも無いコック服にはポケットはあっても煙草は無い。

「さてと、お仕事。行きますかね」