さびしくないきつね



きつねのサンジが一番好きなのは秋である。
湿気の少ない涼やかな風はさわさわと自慢の毛並みを撫で、 その風に揺れるのは金色と同じようにつややかに光る果実をも揺らす。
そもそも雑食であるきつねは虫、小動物、木の実と何でも食すが、サンジはきつねの癖に虫が大嫌いである。
どうにもこうにもあの節の目立つ手だか足だかサンジにはさっぱりと分からないそれが じたじたとうねうねと動くのが嫌いで、あれを見るくらいであれば、少々の断食など厭わない程に。
サンジは飢えには強い。
そして、本当に飢えたとしたら嫌いな虫を食べてでも生きていくだけの力も持っていた。
飢えを乗り越える力と、飢えへの恐怖。
その両方はサンジとっては矛盾していると知りつつも、別物として捉えることは不可能な感情である。

それは、この森へと住み着くずっと前。
まだまだ子供だったサンジは、小さな身体に不釣合いなほどに美しい毛並みを持っており、 人間にはとても高価な狐に見えたようである日とうとう人間に捕まってしまい、 その森近くにある小さな村から彼の毛並みを一番高く評価してくれるという大都会へと運ばれることになり、 大きな船という物の乗せられ、しょっぱい水で満ちている「海」を渡ったのだ。
檻に閉じ込められ船に乗せられた小さなサンジにはそれが何を意味するのかが分からず、 ただ檻の中から目に飛び込むものを大きな目をぱちくりさせて見るだけであった。
なにせ、自分の毛皮が売られてしまうということですら知らなかったのだ。
気が付いたらたった一匹だったサンジはその日を生きていく為に必死で、 恐らく最初には覚えていたであろう家族の事など何一つ覚えていなかった。
ただ、覚えているのは一匹必死で生きようとしていたサンジを仲間に入れてくれたコミュニティがあり、 彼らが一番小さなサンジにとっての父であり母であり、そして兄、姉であったことだけである。
群れから離れ一匹弱っていくサンジに救いの手を伸ばした彼らは優しすぎた。
外敵に傷つけられ、そして空腹に小さな悲鳴すら上げられなくなっていたサンジに優しさしか与えなかった。
いや、他の事を教える暇すらなかったのだ。
小さく弱まったサンジが普通の子狐のようにやっとふっくらとなった頃に彼らはサンジを奪われてしまったのだから。

遠く、遠くから届いた一発の銃弾が、彼らからサンジを奪った。
風下から入念までに気配をたったハンターの銃はサンジを捕らえて昏倒させ、一瞬、 それでも十分なまでに苦痛を訴えたサンジの悲鳴がコミュニティに響き渡る。
ざわと風が巻き上がり北から南へと流れていたそれが真逆になった途端、 コミュニティは大混乱に巻き込まれた。
もう、何度も嗅ぎなれ、すっかりと彼らの身体に恐怖となって染み付いたそれ。
火薬と人の匂い。

「逃げろ!」

と誰かが叫ぶよりもはやく本能で鍛えられた筋肉が地面を蹴り、 追われない様、撃たれない様にと木々の隙間を走る。

「サンジッ」

とそこここから聞こえる悲痛な呼び声は彼らを攻め立てる銃声にかき消され、 そして疾うに麻酔により意識をなくしていたサンジには聞こえる筈もなく、それ以来、 以前は賑やかな隠れ家がだったそこにはどんな小動物も住まなくなる。
それは「最近、毛並みの素晴らしい狐が現れた」 そんな噂が人間界に流れて一週間もたたない頃であった。





「なんだかアツイ」

きゅんと情けない鳴き声にサンジはくるりと巻いた眉毛を下げる。

「自慢の尻尾もなんかしょっぺぇし」

きゅんきゅんと更に鳴き声が漏れる。
大きな檻の中は小さなサンジ一人だけで、潮風に弱ってきてることなど彼には分からなかった。

「おい、チビ」

ぬうっと大きな影を作るのは、最近サンジによく近づいてくる髭の生えた人間である。
サンジよりも長くて立派な髭にぱたりと小さく尻尾が揺れる。
この船に乗ってサンジを見に来る人間の髭はまだらで短いか、 もじゃもじゃでまとまりが無いかで、レーダーとして立派に機能していなさそうでサンジは軽蔑していた。
ちいさいサンジの髭は自慢ではないが彼らに比べぴんと張り、 獲物を捕まえる時などは敏感すぎる程に反応しているのに、 ここいらの人間の髭といったら随分と頼りなさげでに映るのだ。
そのなかで彼の髭だけが立派であり、更には彼はいつでもサンジにいいものをくれた。
他の人間は酒臭い息だけだというのに。

「チビっていうな!」

そう言いつつもぱたりと揺れる尻尾をサンジは無視して目の前の相手に返事を返すが、残念ながらサンジの言葉は相手には伝わらないらしい。

「おら、食いやがれ。…チビの癖に痩せやがって」

サンジの手にとっては大きな、そして彼の手にとっては小さな檻の隙間からはころころと美しく大振りな果実。

「あんな酒にやられた味音痴に食わせる位なら、チビナスにくれてやった方がましだ」

そう漏らす彼の目は不器用なまでに優しくサンジを見つめるが、 野生のサンジに人の手が触れいいものかと躊躇する心が芽生えて、 それが実行される日は無いだろうと、毎日こっそりと航海では貴重な果実をサンジに与える彼は苦笑する。
そもそも狐に情を持っていい立場にはいなかった。
何故なら彼はこの船のコックである。
そもそもコックの彼にとっては狐はどちらかというと食材である。
特に何かあるか分からない航海中、食糧不足は大変な自体を招く。
いくら船が丈夫であっても、中の人間が弱っていたらどうにもならない。
特に荒事の多い海賊船では、大きな船ほど食材となる生きた家畜を乗せて航海を進めることもある位に大切である。
最も、この船は海賊船ではなく商船の為、そのような家畜は乗せていないが、家畜だろうがそうでなかろうが、 長い航海で誰かが飢えたなら彼は美しい毛並みを持つ彼を完璧に育てあげ、 立派なコートに仕立て上げるという目的を無視し、捌く自信が彼にはあった。
それが、この船の雇われコックのゼフの信念である。

「…できれば、テメェは食わせたくねぇがな」

ぽつりと呟き苦々しく笑う彼の顔はあまりサンジにとっては好ましくなく、 楽しげに目の前でころころと転がるブドウと格闘していたサンジは小首を傾げた。

「なんでもねぇが、早く食え。転がるぞ」

そう笑って立ち上がり去っていく相手に言葉が通じなくても、 なにかが通じる事が分かったサンジは彼がますます彼が好きになる。
こんな檻がなかったら彼の後を追って行ってしまいたい程に。
そして、サンジはその願い通りに彼に付いて行くことになる。





その日は朝から船が激しく揺れ続け、夕方になっても留まるどころかますます強くなり、 陸地ではありえない長時間のそれにすっかりサンジは弱っていた。
朝から何度か様子を見に来たゼフにも尻尾をふることすら出来ず、ひたすら丸くなり、 先程いつものようにころりと渡された果実は、荒れ狂う波の動きにあわせ檻を一周した後、どこかへ転がっていく。
どおんどおんと船体にぶつかる波は次第に高くなり、 いつの間にかサンジの身体はぐっしょりと濡れそぼり、隣に立つゼフも同じように濡れていた。

「………」

がちゃりと音がし、何かとサンジが頭を上げた途端に、サンジは大きな手に掬い上げられていた。

「…この嵐じゃ、甲板においてある檻なんざすぐに流されちまう」

やや弁解めいた口調でゼフがサンジを自分の懐に納める。
互いにずぶ濡れであっても密着すれば暖かく、サンジほうと溜息をつく。

「そこのお前!」

ぎくりとサンジの身体を包むゼフの体が一瞬固まる。
背後からは嵐の揺れだけではなく、深酒の為に醜く顔を赤らめた男が喚きたてている。

「あ、嵐に、乗じてッ、お、おれの金、金蔓を盗む気かぁぁッ!」

どぉんと最も激しい波音よりも大きな音がサンジを、いやゼフを襲った。
自分を、仲間を襲った銃声が鳴り響き、忘れたと思った硝煙にサンジは過剰反応をする。
あの日、身体を走った激痛はやはり忘れられるはずも無く、サンジは狂ったように逃げ出そうと暴れる。

「ッ、クソッ」

ぎゅうと押さえつけるが、酔っ払いが放つ銃弾から避けようとした瞬間に腕が緩んだ其の隙をサンジは見逃さなかった。
あっという間にゼフの胸から逃げ出し、そして恐ろしい火薬から逃げだそうと走るサンジを次の瞬間、船を襲った高波が襲う。
波はその荒々しさのままサンジを巻きこみ海へと引き摺り落とす。

「クソガキッ」

何の躊躇もなくサンジを追い、ゼフが海へと飛び込んだ瞬間。
船以上の大きさの波が襲い掛かり、巨大な船は一瞬にしてただの木材と化し、海に沈んでいった。

気が付いた時には、ゼフとサンジは岩場に打ち上げられていた。
草すら生えていない土地。
そのような場所が存在することすらサンジは知らなかった。
餌が取れずに飢えた事はあれども、その餌すらない場所でサンジは言いようの知れない恐怖を感じる。
それでも傍にあの男が居た事だけが救いであった。
嵐の日に自分を助けた彼には恩を返さなければならないし、 何よりも遭難した彼の衰弱した様子は、親から離れ死にかけた自分を彷彿とさせ、 今度は自分がサンジを救ったコミュニティの仲間のように、世話をみなければ成らないと思ったのだ。

しかし、世話といっても何も無い島でサンジは途方にくれた、 出来ること言えば海に落ちた時に作ったのであろう傷を舐めてやることしかできない。
何日も傷を舐めるだけの日々が続き、空腹が長引くと次第にサンジは意識を保ておくことがきなくなり、 ゼフの隣で気絶するかのように眠る日が続いた。
この数日、二人とも口にしたものは岩場に溜まる腐りかけた雨水と岩肌を舐めて得る塩分のみで、 このまま飢えて死んでいくのかとサンジは朦朧とした意識の中怯え、震えた。
それは次第に弱りつつある体が体温を保てなくなっているのかそれともまた天候が崩れてきているのか。
しかしサンジにはそれすらどうでもよくなっていた。
分かるのは隣にある体温だけ。
それももしかしたら低くなっているのかもしれないが、薄れいく意識のなかでそれだけがサンジの拠り所で、 檻での生活も長かった為か、すっかり立てなくなった身体を引きずるようにして彼にさらに擦り寄った。
もしこのまま眠るように死ねるのであれば、彼が自分を食べて生き延びてくれればいい。
ふと浮かび上がった考えはサンジにとって例えようも無い位に名案に思え、

「…俺を食ってくれ…な」

くぅと小さな声で告げた言葉が、相手にどうにか届くといいと思いつつ、 サンジは衰弱という深い眠りへとまた落ちていった。





ぎりりと何かを噛締める音。
数回何かがぶつかりあう音。
空気が振動するほどの声にならない悲鳴。
そして血の匂い。





サンジを起こしたのは久しぶりに嗅ぐそれだった。
自分が元気な頃、狩りに行くたびに嗅いだそれは、ちいさなサンジにとってはご馳走であった。 ぎゅうと衰弱しきっていた体が生きのびようと、空腹を激しく訴えはじめる。
しかし、衰弱しきったサンジの頭の隅では警鐘が鳴り響く。何も無い岩の上で餌になるものなど何もないのだ。
おかしいと喚く頭を振るようにして、無理矢理頭を上げた途端、サンジはひゅうと息を飲んだ。
何も無いはずの場所でむせ返る程の血の匂い。
それが何を意味するのかは、見たくも無い現実を突きつけられまざまざと知る破目になる。
目に飛びこんだ血溜まりを追って行けば、それは彼に続き、そして彼の右足にも血溜まり…いや、それしか無かった。
右足が消えた、その理由。
その理由など一つしかなかった。

「おい、クソチビ…」

どさりとまるで荷物のように投げられた拳ほどのそれをサンジは正視することができなかった。
すでに乾きつつあった岩肌にこびりつくそれらと違い、 目の前からのそれからは恐らくサンジを惹き付ける香りをしているのかもしれない。
しかし、もうサンジは空腹を感じることはなかった。
動けないと思っていた身体を必死に動かし、右足があった場所へと這いずる。
体の向きを変えたため濡れた塊はもう見えなくなる。

「美味くはねぇが、生き延びられる」

それが何であるかなど頓着しないような物の言い方に涙がでる。
彼がどういうつもりでそれを取っておいたのかも痛いほどに分かる。
サンジも考えたそれ。
しかし、サンジのそれは余りにも安易な考えであった。
死んだら食えというその考え。
現にサンジは今もこう生きている。
死を待つよりも、どうなっても生きる。
ゼフのその信念に打ちのめされる。

「…俺は生きるぞ。クソチビ」

眼下に広がる海を鋭い目で睨むその光にサンジは震える。

「あんたは生き延びてくれ。其の為に、何でもするから」

そう思った言葉はサンジの口からはもう出なかった。
震える舌でゼフの傷口を舐める。
もはや、サンジにできるのは傷口を舐めてやること位である。 それが、どれだけ彼が生きる為の役に立つかなど分からないが、それでも止めることなど出来なかった。
意識を失いそうになりながらも傷口を舐めればその度に、口腔に広がる血。
それがこんなにも苦いものだと、自分の心臓を抉るものであるとサンジは知りたくはなかった。 できるならば。
完全に身体が動かなくなっても必死で舐め続けたゼフの右足は、 サンジのよく見えなくなってしまった目からでも壊疽しているようには見えない。
嗅覚も完全に麻痺しているため不明確ではあるが。
あの日以来血の匂いが取れたことがない。
それは幻なのか、それとも乾いた血からもただようのかサンジには分からなかった。
分かっていればいいのは、ゼフが生きていること。それだけだ。

「ジジイ」

力なく上げた声は届いたのか、相手が身じろぐのが分かる。
それだけで嬉しくなったサンジはまた目を閉じる。
もう何日になるか分からないがひたすらに呼びかけて相手の存在を確かめている。
言葉が通じなくともサンジが自分を呼んでいることが分かるのだろう。
ゼフもそっとサンジを呼ぶことがある。
その度にサンジも返事をするかのように、ゼフの右足を舐める。
どうやら神経は死んでいないらしく、ぴくりと反応を返すそれに彼が生きていることを確認でき、 サンジをますます安心させた。





そうして過ごしてきた八十五日目の夜のこと。





ざざん。ざざん。波音が酷く煩く聞こえ、ふと目が覚めたサンジは目の前に二つの光るものを見つけた。
自分と同じ獣の目。
夜の闇に爛々と輝くそれは力強く見える。

「ああ、俺は、テメェを待ってたんだ」

にこりとサンジは笑う。

「ジジイを、助けてくれ。テメェならできるだろ?」

応とも否とも返事のない相手にもう一度笑う。

「頼む」

お前は、俺の声が聞こえるはずなんだ。獣同士だから。

「頼む」

もう一度繰り返すと、ようやく相手がこくりと小さく頷き、広く逞しい背にゼフを背負い、 鋭い牙が見れる口でサンジの首根っこを器用に優しく咬んで海へと飛び込んだ。
ざぶりざぶりと波を書き分けて前進する姿を、雲から逃れた月が明るく照らす。
金色の毛に黒色の力強い縞が身体を覆う美しい獣。
太い足がしっかりと水を掻き、ゼフとサンジを連れて行く。

飢えることのない安住の地へ。









- - - - - - - - ごみんなさい - - - - - - - -

予想と違ってえらい暗い話になりました。
というかゾロが出ないこと出ない事。というか出てるの?
ゾロサンオンリー向けではないですね。
実はこのあとハッピーになるんです。(いわゆる時間切れ…)
人生楽ありゃ苦もあるさ。です。
っていうかお前先に楽を書けよ。って感じですが。
ペーパーだしサービスでエロかなぁ?なんて思ってたんですが。
どこにも付け入るスキが無かったです。
…おそるべきジジイ。

ではでは、次回はハッピー且つエロで!

いつでも心はエロリスト。藤堂あやでした。



↑ペーパからのコメント。
人間寝ないとろくなもんじゃあござんせん。(誰?)
よく、原稿の為に睡眠を削るどころか一睡もしない方がいますが、 なぜそんな無茶をしてハイクオリティなのよ!と大声で叫びたいような出来具合のペーパー。

敗因は、落としてしまった新刊様に尾田先生のバラティエ物語(なんじゃそりゃ)を読み返して泣いたからでしょう。
気が付いたらゾロが本当にいない。
新刊落としたオワビペーパーがなんだか喧嘩売ってんのかコラってかんじでしたね。
あや反省。地の底まで反省。

このどうしようもないお話。

続きを書くってのはありですかね?
なんとなくこのまま終わらせるっていうのもいいのかなとは思いつつ、 やはりゾロが居ないのが不満。

2004/10/01




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